という記事の中でも書きましたが、
体育の日を制定した際に10月10日だった理由は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開会式の日だったからだそうです。
ご存知の方が多いと思いますが、語呂合わせ的な意味以上?の意味があったんですね。
ここからはあくまでオザワの妄想です。
1964年東京オリンピックを開催した時と、2020では関わった人達の想いの重さ・熱さは、良い悪い抜きに違ったと思います。(ただ、2020年と同じで開催されるまで反対の声も少なくなかったそうです、反対の理由も「それどころじゃない」という点も同じかもしれません)なぜ想い・熱さが違ったのかと妄想するかといえば、東京オリンピックは、1940年(昭和15年)に開催されるはずが戦争により返上し開催されず、その戦争から復興する過程で1964年は開催されたという経緯を経ているからです。
今とは違う想いで開催されたであろう、1964年東京オリンピック。
その2年後、開会式の日を「体育の日」と「祝日」に定めたのに、「ハッピーマンデー」という個人的にはそんなのなくても休めばいいのに制度により第2月曜日に変わりましたが・・・。
妄想はここまでにして
なぜを大切にすることで、大切なことに気がつく・おもいだす
なぜ?この日が祝日なのか?
「体育の日」だけでも色々考えることはできそうではありませんか?
新型コロナが発生した直後も一時的とはいえ、世界的にスポーツの開催は見送られスポーツどころではありませんでした。戦争が起きてしまったら、やっぱりスポーツどころではないと思います。スポーツをするしないに関わらず、スポーツができる状況ってかなり恵まれているってことを年に1回でも思い出す機会になるのではないでしょうか?
「なぜ?」と考え、知った・思いだしたところで大きく何かが変わるわけではないかもしれませんが、大したことではないから大切だと思いませんか?
パーソナルトレーニングでも「なぜ?」が大切
トレーニングではどうでしょうか?
トレーニングの中のある運動を10回3セットやるうちの1回を惰性でやっても大きな違いにはならないかもしれません。
それがその1日だけなら。
トレーニングでは、人間ですから時にはただ挙げるようなことをしてしまうこともあるかもしれません。でも、適切なフォームの「なぜ?」を気にしていれば、次のトレーニングでは違う意識で臨めるのではないでしょうか?
日常の出来事、習慣は大体が大したことではない?
日常生活で気がついたらスマホを触っている、ソファに変な姿勢で座っているのも、大したことではないかもしれません。でも、そこにもその姿勢・習慣がなぜ体に不要な負担をかけるかがあるはずです。
日常生活の動作は1回の刺激が弱いため、元々が「健康な人・若い人」であればそのように過ごしても直ぐに体に何らかの不調が生じることはないと思います。そのため長期間にわたって続けて不調が生じてから気がつくことがほとんどだと思います。
でも、ただ姿勢が良い・悪いではなく、その動作・姿勢がなぜ良くないのかを気にしていれば、悪い習慣・クセを作ることを防ぎ、結果として不調が生じるリスクを下げることができるのではないでしょうか?
オザワ個人の話ですが、大したことは出来ないなら大したことを大切にするしかないと思うのでした。
名古屋市昭和区・瑞穂区桜山パーソナルトレーニングスタジオGlimSC
パーソナルトレーナー:オザワ