今年は、10月10日が「体育の日」あらため「スポーツの日」として祝日でした。
2000年にハッピーマンデーでにより第2月曜が祝日となったため、10月10日とは限らなくなりましたが、30代半ば以降で年齢が上がるほど10月10日が祝日だと収まるところに収まっているというか、あるべきところにある感じがするのではないでしょうか?
さて、この「体育の日」から「スポーツの日」に変わった祝日ですが、パーソナルトレーナー的に思うところと、オザワ個人として思う独り言の様なことを今回は書きたいと思います。
体育かスポーツかその違いは?
「体育とスポーツは違う」と考え名称を変更したのだと思います。
元々、昭和の東京オリンピックの開会式の10月10日を「体育の日」としていたわけです。オリンピックはスポーツなので、シンプルにはじめからスポーツで良かったのかもしれません。それでもスポーツと体育のどちらが多くの人に必要かを考えると、「体育の日」としていた祝日を「スポーツの日」としたことがよかったのかは疑問に思うところがあります。
重要度から言えば、
スポーツ<体育
だと個人的には思うからです。
スポーツには、国民皆んなが参加をする重要度は低い
国民皆がスポーツを楽しむことは悪いことではないと思いますが、スポーツにも肉体的・精神的に向き不向きがあります。スポーツの日と決めて、国民皆んながスポーツに”参加”して楽しむ日が来るなんてことを希望するのは、スポーツ業界の人の幻想に過ぎないと思いますし、本当に必要なことかも疑問に思います。
「俺が楽しいだから、お前も楽しいだろ?」
と言うのは、
「俺がこのXX美味しいから、お前も美味しいはずだ・分かって欲しい」
と言われて困惑した経験がある人もいるかもしれませんが、それらと同じではないでしょうか。
体育で国民皆んなに、運動の大切さと適切な方法があることは知ってもらう重要度はスポーツより高い
体育は教育的な要素を含んでだ意味で使われると思います。
だから、学校での教育という意味だけではなく必要なのは以下の様な点だと思います。
- 体を動かすことの大切さを知る
- 適切に体を動かす方法があることを知る
この2点はスポーツに親しむことよりも重要ではないでしょうか?
体育の中だけで、適切な方法でできる様になるのは難しくても、ただ動くのではない適切な方法があることを知識として知ってもらえるだけでも意味のあることではないかと思います。
そしてもう1つ大切だと思うのは
体を動かすことを嫌いなる環境をつくらない
体を動かすことを好きなれれば良いですが、それよりも嫌いにならないことが重要ではないでしょうか?
体を動かす機会の環境が「嫌い・苦手」が、運動から遠ざけることになり、結果的に運動が嫌いになってしまっている人が少なくなさそうです。
誰に向かって書いているのか分からない記事になったかもしれませんが、多くの人に必要なのは、適切な運動をすることで、スポーツはまた別の次元の話だと思いませんか?
「上手・下手」「速い・遅い」は?
体を動かして何かをやってみると、「上手・下手」「速い・遅い」など他人との違い、順位のようなものがつけるつもりがなくても生じます。
でも、これって他の勉強とか人間の全ての行為であることですよね。
「算数が得意なら、算数が得意」なだけ、「脚が速ければ、脚が速い」だけで、どちらが人として偉いとかないのは同じはずなのに、小学校の運動会ではかけっこの順位などセンシティブに扱っている話を聞くと、使うところが頭か体かで考えを変えている矛盾を感じるのは気のは気のせいでしょうか?
「Aさん、算数得意だね!」「Bさん、脚速っ!」でよくないですかね?
体育の中のスポーツは教養の1つでいいのでは
体育の中では、色々なスポーツがあることを知り・経験する機会であって、それらの中で「体を動かすこと・チームで目的に向けて行動し競争をゲームとしての楽しむなど」あくまでスポーツを楽しみ嗜む機会になるとよいのではないでしょうか?
だから、「スポーツの日」よりもスポーツのことを知る機会としての「体育の日」でよいと思いませんか?
ハッピーマンデーと祝日について、オザワ個人が思うことはまた別の機会に。
名古屋市昭和区・瑞穂区桜山パーソナルトレーニングスタジオGlimSC
パーソナルトレーナー:オザワ