トレーニングにかぎらず、「独自」とか「オリジナル」とか、いろんな形容詞をついていると価値があるような気がしませんか?
トレーニングが独自とかオリジナルである必要は?
GlimSCパーソナルトレーニングの考えでは、提供するトレーニングが独自やオリジナルであることは、受ける方にはなんの関係もないと思っているので(なにか特別なことをしているという満足が欲しい人はべつですが)、提供するトレーニングについてそのような視点から考えたことはありません。そもそも、楽しさやどう感じるかという部分に重きをおかれると思う娯楽とは違い、その人に役立つかが1番大切だと思うので、独自であることを考えるよりも、トレーニングをされる方の目的に向かって最善の方法であるように考えています。ただ、あとで書きますが、独自やオリジナルが悪いということではなく、少なくともトレーニングの指導をさせていただく側が、独自やオリジナルであること優先する必要はないのでは?という考えです。
でも、こういう論理も分からないではありません。
効果があるのは当たり前。そこに付加価値をつけないと
こういわれると、「そ、そ、そうかな?」と、一瞬思ってしまうことがないでもないです。そしてこういう考えかたは全然間違ってもいないと思います。「効果があって、今までよりお手軽な独自な方法で、楽しくて、誰でもできて・・・」と、このように考えることは素晴らしいとすら思います。もちろん、トレーニング施設として考えた場合、キレイだとかカッコいいとか、何かほかのこともできるとか、そのスタジオに行くと楽しいという他の部分での価値というのもあるかもしれませんが、今回はあくまでトレーニングの話ですすめたいと思います。
現在までに、研究者がいろいろな研究をしてくれている
トレーニングに関連することは、現在までに研究者が日々色々なテーマについて研究され、今も分からないことを解明しようとしたり、正しいとされていることを検証したり、新しい方法を導こうとしたり、それを専門でおこなっている人がいます。別に、街のパーソナルトレーナーがそれをしてはいけないとは言いませんが、少なくともオザワがしなくてはいけないことはソレではないと思っています。
実績があることをベースにする
トレーニングのある事柄について、1人の人がこうに違いないと言ったことを、他の人が検証してもやっぱりそうらしいぞ。と、いう事例をベースにするということです。そうしたことを前提にさらに自分でも試せることは試してみて、どうやら間違いはなさそうだと考えてはじめて他の人に使うことができると思っています。
実証してくれたことはベースにしかならない
しかしながら、実証してくれたことは上のように表現することもできます。というのも、実験などで分かったことが、実際の現場で、まったく同じシチュエーションできるというのはほとんどないと思います。これは、トレーニングの指導に限らず、どんな仕事でもそうではないでしょうか?こうしたときにどう判断するかは、実証されていることをベースに、ご自身の経験などの判断でその状況にベストと思われる対処をしませんか?
オリジナルではないかもしれないけれど、オリジナルではないでしょうか?
実際に仕事で判断を要求される場面では、最初に独自であるとかオリジナルとかということに拘らなくても、その人なりの判断をくだして、進めることが求められるのではないでしょうか?そして、その判断だったり行動などアウトプットされたサービスは、提供される側の評価にゆだねるだけです。そして、その判断を第3者がみてそう思うならば、独自だったり、オリジナルと呼ぶのだと思います。
トレーニングに時間を使い、疲れるのはお客様
トレーニングは、身体になんらかの影響を与えます。それが、提供する側のオリジナルでなければなんていうエゴを優先したものであっては、いけないと思います。先にも書きましたが、何年もかけて研究してくれたまず間違いのなさそうな、そういったこれまで色々な人が考えてくれたことをベースにしても、目の前にいる人のその時の身体の状況まで考えた、資料などどこにもないと思います。それをするのは、自分しかありません。そして、それができるのは自分に任せてくれる人がいるから。その人に対して、自分がオリジナルかどうかなんて、どうでもよいことです。任せていただけてる部分は、上に書いたように、自分が望まなくても独自やオリジナルにならざるを得ないからです。
主観が入り過ぎ、独自にならないように気をつける
個人的に、トレーニングについて独自とかの形容詞がついているものはには興味がありません。(少なくともお客様に提供することを前提で考える場合)もっともらしい理屈をつけていても、実験のサンプルも数名で、実験したのも身内で、この理論は素晴らしいとか、そういうケースも少なくありません。そちらを調べるよりも、個人的な努力は、他に実績があって効果があるとされるもの、そちらを中心に考えさらに理解するためにむけるべきかと考えています。人間って、一生懸命に考えるほど、最後は自分の経験や価値が良くも悪くもでるものだと思います。だから、それだけにならないように努力をむけるべきだと、自分の場合は思っています。どんな場合であれ、最後は自分の考え、判断を入れないといけないのですから。独自になろうと思わなくても、そうした部分は必ず含まれると思います。
まとめ
バーベルを使ったスクワットを、「この方法は自分が考えた独自のものだ」だから、それを他の人が使う場合は、使用料を払え。人に指導するときは、別に指導権利料を払え。なんてことはないですよね。それがトレーニングについての、現実的な1つの答えではないかと個人的に思っています。